映画・テレビ

2021年3月27日 (土)

「澪つくし」

ドラマ「澪つくし」終了。面白かった。

 

BSプレミアムの朝ドラ再放送枠で去年の秋からやっていたものを録画しながら一度も飽きることなく全話見てしまいました。「おしん」「はね駒」と続いて「澪つくし」まで続けて楽しんできたわけですが、昔の朝ドラって面白い。

 

現代の朝ドラは出演者と脚本家によって見たり見なかったりという感じですが、多くはご都合主義といいますかヒロインに合わせてストーリーが動き、つじつまがあわなくてもそのまま、その上事務所の力関係などの視聴者には関係のない大人の都合が透けてみえたり、学芸会の様相になったりで、でも所詮朝ドラだからとこちらもゆるーく仕方ないなという苦笑混じりの視聴も度々でした。朝ドラなんてそんなかんじよね、と。
(過去作で自分的に面白かったのは「オードリー」「芋たこなんきん」「あまちゃん」「ひよっこ」)
現在放送中の「おちょやん」も途中で脱落。

 

ところが昔の作品を立て続けに見たら、物語に吸引力があって「明日はどうなるの」「これからどうなるの」のパワーに
圧倒されます。
「おしん」で1983年。まだ専業主婦率も高くて、朝の慌しい時間に家族を送り出してこの後また家事に頑張るお母さんのほっとする15分の楽しみ、ながら視聴もあるでしょうが家族に遅れての朝ごはんを食べながらのクオリティの高いオアシスだったんだろうなぁと思います。

 

「澪つくし」のなにがすごいって、どのキャラクターも生き生きとしていて行動に意味があり不自然じゃなかったところ。
見終えて振り返っても主人公2人以外でも、女中のツエさん(「すいません」にあれだけ表情をつける鷲尾さんもさすが)、異母弟の英一郎、女中頭のハマさんとどのキャラクターもドラマをたどることが出来て感服しました。

 

私のお気に入りは律子さん。と、いうか桜田淳子さんってこんなに美しくてこんなに演技が巧みな人だったと今頃知りました。「アニーよ銃を取れ」と「細雪」の舞台の噂は知っていましたが未見だったし。
そして岩本多代さんのおっとりとした、芯の強さも見せる千代さん。いかにも大店の奥様の芝居と完璧な紀州弁が素敵でした。

 

一部、ヒロインがあまりにも拙すぎるところがあったり(でもあれだけ美しければ良し)、それ故にかナレーションで心情を説明しすぎたり、明石家さんまのキャラがどうにも浮くなと感じたりというマイナス面もありましたが、広げた風呂敷はちゃんとたたむ、緩急つける。一人ひとりの考えと動きに説得力があって、出したキャラクターは使い切り、途中で消えたりしない、という徹底振りにさっすがジェームス三木!と拍手です。

 

戦前からの物語なので着物姿が中心となりますが、ヒロイン一人を見ていても年齢と立場によって着るものが変わるのは当然としても着付け、襟のあわせ、帯の高さなど細かく変わっていくのも楽しかった。まだ着物文化がかろうじてテレビ界にも残っていたんだなと思わされます。

 

次は「あぐり」ですって。これまた楽しみ。

2020年12月12日 (土)

「プリティ・ウーマン」

2020年の終わりに今更ながら映画「プリティ・ウーマン」を見ました。
もちろん初見ではないのですが今までに見たのは民放のカットあり吹き替え版、それも真剣に見たわけではなくて流し見だったのです。今回はNHKでノーカット、字幕バージョン。
あらら、いい映画なのねぇ。大変面白かったです。

主人公2人の「マイ・フェア・レディ」的恋物語ですが、私の好きなのはホテルのスタッフたち。
元々モブシーンや脇役キャラに注目するのが好きなせいか、ドアマンやエレベータボーイ、フロントのスタッフを見ているのがこの映画の楽しみの中心です。
言うまでもなく中でも支配人さんがキモで、私が役者ならこの役をぜひ演じたいほどいい役!
一流ホテルの支配人である品位を保ちつつビビアンを受け入れて行き、ラストには預かった宝石について話しながら二人の恋愛を暗喩してみせるなんてニクイ役です。
演じるはヘクター・エリゾンドという役者さん。他になにか見てるかなぁと調べたら「刑事コロンボ」のとある作品で見ているようです。
うーん、ストーリーはおぼろげながら覚えているけど役者さんは覚えてないなぁ。
それにしてもやや強引ながらホテル物語として視点を変えて見てもちゃんと見られるなんて、いい映画はちゃんと作ってあるという証拠ですな。
私的にいちばんいいシーンは、赤いドレスを着てオペラに出かける二人をスタッフのそれぞれが見送る場面です。よく出来てる。

もちろん出てくるファッションも楽しく、それにお買い物シーンがキライな女性はいないでしょう。
誰かのエッセイに、この映画の一番好きなのは最初にイジワルされたブティックの気取った売り子のねーちゃんに意趣返しする場面だと書いてありましたが、確かにそのシーンも大変よろしい。

二人で着飾って見るオペラが「椿姫」なのも効いているし、ヘップバーンの映画を見るシーンの後に「ローマの休日」のオマージュかなと思われる演出が入るのもお洒落。

1990年の映画ということはもう30年も前の作品なんですね。マジか。
そう言えば出てくる携帯電話が巨大でしたわ。


2020年9月13日 (日)

NHK 「ソーイング・ビー」

面白いとの評判を耳にしていたイギリスの裁縫番組「ソーイング・ビー」(NHK)。
先日全話再放送があったので、ようやくまとめて見る事ができました。
きゃー。本当に面白いっ。見始めたらやめられません。

 

裁縫好きのアマチュアが次々と課題をクリアしつつ勝ち残っていくスタイルの、ま、要するにバトル番組なんですが、発想と技術両方の楽しみどころが色々あってとーっても面白いです。

 

参加者の作品の傾向がそれぞれ個性的なところへ、キャラクターそのものも様々、もちろん細かい工夫も色々見られる!
私が好きな出演者はオカン系のサンドラ。
子供のサマードレスを課題に出され、型紙どおりに製作するように言われているのに肩ヒモを筒状に裏返して縫わずに平たくダーッと作っちゃったりして、簡単に楽しく縫う、という点を重視しているようなところが好みなんです。
最高齢のおばあちゃま、アンの丁寧で冒険しない裁縫も勉強になります。

 

私自身は、洋裁を学校できちんと勉強した母について簡単なものから徐々に教えてもらい、最終的には一応裏つきのテーラードジャケットや裏つきの長袖ワンピースを縫うところまでやったことがあります。原型の型紙の倒し方とかもやった。
とは言え、もうそんなものを一人で手がける気力は無く、最近はせいぜいチュニックや簡単なスカートを作る程度の裁縫好きです。

 

なので、課題にあった男性用スラックスなんてとても無理。ファスナー付けで絶対混乱するっ。
なによりも時間制限が無理無理っ。そのスラックスも4時間だったかな、ひざ上までの裏をつけて仕上げるのよーっ。パニック。上着の袖付けも苦手。肩山を何回もしつけしないと出来ない。

 

通して見ていると、イギリスでは地直しはしないのか?とかそこ気にするならここにでる皺はもっと気にならないか?と思う場面が出てきたりして、高度なことと適当なところのバランスがちょっと妙な気もしますが、そこはイギリス式と日本式の差と取るか、テレビショーだからと解するか。
ある程度の裁縫知識があった方が楽しめそうですが、なくてもモノ作りの好きな人ならおもしろいんじゃないでしょうか。

 

それにしてもあのソーイング・ルームはうっとりと憧れます。
広く明るい作業台、様々なサイズの人体、てんこ盛りのセンスある布とファスナー、リボンの山。
ギリギリの長さの布に型紙を置いて、どう切ったら無駄が出ないか、布目と柄が美しいかなんて気にしなくていいし、何よりあんな場所があったら作りかけのものを出しっぱなしにできるのよー。
途中でチマチマ片付けなくてもいいのよー、ああ羨ましい。

 

現在「ソーイング・ビー2」がスタートしたところです。こちらも楽しみ。保存します。

 

 

 

※番組とは関係ない裁縫つながりの追記。
いつも思うのですが、テレビでお見かけする色んな人の中で、一番仕立ての美しい背広を着ているのは副総理の麻生さんだと思いません?
画面で見るたびについお仕立てに目が行って、毎回ため息が出るほど惚れぼれしています。
身頃への襟の添い方、袖山の芸術的な美しさ。浮きのないショルダーラインと胸元の傾斜に全体のシルエット。
イギリス風のサイドベンツでコートもパンツも全て完璧。
きっとものすごい達者なテーラーさんをお使いなんでしょうね。

 

 

2020年3月22日 (日)

「やまと尼寺精進日記」最終回

絶対に見逃さないようにしているお気に入りのテレビ番組のひとつがNHKEテレの「やまと尼寺精進日記」です。
毎月最終日曜日の18時から。月に一度の放送なので新しいカレンダーをめくったら「尼」という一文字を書き込んで忘れないようにしています。

 

話がそれますが、どうしても書きまちがう漢字ってないですか?
しっかり覚えているつもりでも書くときにナイショの軽い緊張感がある、そんな漢字です。
私は「縁」と「緑」を書くときには表情に出さないようにしながら「間違うなよ」と自分に言い聞かせてしまいます。
「尼」と「屁」と「尻」もそんな文字のひとつだったのですが、この番組を知ってから大丈夫になりました!(なんの自慢や)

 

さて、今回の「やまと尼寺精進日記」。
番組表をみていたら心づもりよりも一週早く、今日3月22日の放送になっているのに気づきました。
そしてショックなことに最終回を示す「終」の一文字が!

 

えーっ、終わっちゃうの?
月に一度の私の心のなごみ番組なのに…。
じゃあ、3分番組として毎週放送している「やまと尼寺献立帳」も終わり?寂しくなるなぁ。

 

奈良の桜井市の奥の(少し土地カンあります。なかなか分け入った立地です)由緒ある尼寺「音羽山観音寺」で暮すご住職と副住職慈瞳さん、お手伝いの女性(寺男の女性版といいましょうか)のまっちゃんの暮らしを描いたドキュメンタリーです。
ドックフード以外はほとんどお金を使わないという生活。
3人と檀家さん、村の方たちの素朴で明るくてケラケラと笑いながらなんでも手作りでこなす様子が素敵で、今時のスローライフという言葉ともまた違う、もっと素朴で自然な肩肘張らない毎日を見るのが毎月のお楽しみでした。
精進料理も頂いたり作ったりしたものを素直にただ手を掛けて食べる。これが当たり前だという様子が良かったんです。
自分の田舎での祖父母の暮らしと重なる部分もあり懐かしく思ったり、人間関係の密だけど飾らない様子にも惹かれていました。

 

まぁ、実際は生々しいものがあったり、田舎のしんどさみたいなモノもあるでしょうから、ある種のファンタジーとして楽しんでいる自覚もありましたし、それに最近はちょっと演出が過ぎているかなと思うときもあり、そのあたりは見てみぬふりをしつつ楽しんでいたので終わってしまうのもむべなるかなと思います。
番組によってお寺の皆さんのご負担も増えただろうしね。←良くも悪しくもテレビに出て変わったものは大きいと推察します。

 

もちろん番組が終わってもお寺は続き、3人の生活もおそらく続くわけです。
いつか訪れてみたいような、あのお山で元気に3人お過ごしなんだなぁと思いつつ過ごす方ががいいような…。

 

※4月からは、EテレとBSプレミアムで再放送がはじまるようです。
保存しているものの、最初の頃のものは残していないので、古いものがまた見られればうれしいですが、どうかな。
うるさくて疲れるテレビ番組に飽き飽きした時に、この番組を流しつつ手仕事なんかすると至福の時を過ごせます。

 

 

2019年6月16日 (日)

「サワコの朝」堤真一さんを見た

「サワコの朝」は好きで良く見る番組のひとつです。
(他の地方は知らないけど関西では朝7:30から。朝寝坊したいので100パーセント録画視聴ですが)
好感を持っているゲストの時はもちろん面白いし、苦手な人でも意外と楽しめたり興味をもてたりするのもよろしい。
私はコミュニケーション下手なので、聞き上手なアガワさんのトークをちょっと参考にさせてもらうこともあります。

 

今朝のゲストは堤真一さん。
坂東玉三郎丈が俳優へと引き上げて下さった話が面白かった。
真田広之さんの付き人時代、出番を控えて「天守物語」のお獅子の中に共に入っているときに
(肩トントン)「役者やるんでしょ?」と毎日のように誘われたそうな。
「本番中ですよ!?」とのことでしたが、ああいう子供の頃から舞台に出ている方は舞台にでる瞬間に切り替えてしまわれるから、それまでは素なんですよね。

 

その後抜擢された芝居で注意を受ける時に「逆算」して演じるように指導されたという話も目に浮かぶよう。
両手をくるっと返すような可愛らしい手つきが付いていて、玉三郎丈のラブリーさに笑みがこぼれます。

 

それにしても歌舞伎界の方ってものすごく周りの人に注意を払っている印象があります。
スターシステムの中にいる人の責任というのかな、やれる、と見込んだ人に声をかける話は子役さんにであれ他の世界の人にであれよく耳にする気が。
自分の舞台をより良いものにするためという面もあるのでしょうが、上に立つ人にはチャンスを与える責任もある、そのことを強く意識しているみたい。

 

劇団「カクスコ」の井之上隆志さんも、劇団解散後中村勘三郎丈にお声をかけていただいたそうです。
脇で重用してもらい「大江戸りびんぐでっど」の時には出身地宮崎県にあやかって「日向屋」という屋号までもらったとか。解散後もドラマや舞台で活躍されたとは言え、あのなんともいえないキャラクターのおかしみをもっと発揮できる場所はないものかと見守っていた劇団時代のファンとしては、勘三郎さんの目の付け所にさすが、と唸り、うれしかったものです。

 

勘三郎さんのもとでもう一花新たな花を咲かせて見せてくださるのだろうと楽しみにしていた矢先、勘三郎さんが病に倒れ、井之上さんも同じく去ってしまわれました。
聞くところによれば当時、勘三郎さんは井之上さんに個人的にわざわざ連絡をして次の仕事が公演中止になったお詫びをされたとか。ご自分が舞台に立てない無念さと共に、見込んだ人を活かしてあげられなさった済まなさも感じておられたのでしょう。

 

上の立場の人が周りに目をかけ、育てたり引き上げたりする。
一般社会でも昭和まではよく聞く話でしたが、最近はどうかな。私は権力をカケラも持っていませんが、学ばねばと思います。

 

…そうそう、「サワコの朝」字幕担当さんへ。
字幕が「獅子舞の中で玉三郎さんが…」となっていましたが、なんで天守物語で獅子舞やらにゃならんかね。
あれは天守閣に据えてある獅子頭ですわよ。玉三郎丈が獅子舞やったら泉鏡花が腰抜かすよ。

2018年7月29日 (日)

お宝レコード発掘の旅~あなたの思い出の曲かけさせてください 

BS朝日で7月22日に放送された「お宝レコード発掘の旅~あなたの思い出の曲かけさせてください 4」を見た。

この番組、最初はたしかリモコンで番組表を見ていて「レコード」の文言に惹かれ、録画視聴したんだったと思う。
それが偶然にもパート1、第1回目の放送で、なかなか面白かったので続けて見ている。

BSの番組は不定期放送のものも多いので、気に入りのものは見逃さないようにするのが骨なんだが、深夜寝る前に明日のテレビ番組表を地上波とBS、ざっと眺めてひっかかるものはどんどん録画しておく習慣にしてからはずすことが少なくなった。
たとえば同じBS朝日の「ウチ、断捨離しました」シリーズとかも同じパターン。
この作業を経てテレビを見ると、見はぐれることが少なくはなるが、いつの何時にどの放送局でやったものかが判らないままなのが難点である。
(断捨離シリーズも同じBS朝日だということはたった今知った。そういえば番組のムードも似ているようだ)

それはともかく。
この「お宝レコード」、ポータブルのレコードプレーヤーをスタッフ氏が昔の駅弁売りのおじさんスタイルで胸に下げ、街行く人に声をかけて、家にレコードは残っていないか、あったら「思い出の曲かけさせて下さい」とお願いするというそれだけの番組なのだ。
加えて、家庭のお茶の間を模したセットに野口五郎さんと女性がいて、合間に色々トークをしたり、ワイプで感想なりを乗せたりもする。

テレビ人がそうでない人に声賭けをするのに横柄だったり無礼だったりするのはとても見苦しいが、この番組氏はモノを頼む丁寧さと番組として堅くなりすぎないフレンドリーさの「ほど」が良くて安心できる。
おそらく現場はこのスタッフ氏と音声氏、カメラ氏の3人程度、いてもあと1人2人の少人数制と推測される。
昨今人気の旅番組にアナログレコードブームをミックスし、低予算なのでタレントは使えずでやってみたら意外とウケて4本も出来ちゃったという感じ?知らんけど。

「もう捨てちゃったわー」「こないだまであったんだけどね」なんて言われつつ、「あるよ」と応えてくれた人のお宅に伺って現物を出してもらい、話を聞きつつ一番気に入りの一曲をかけさせてもらう。
協力者の家にその場で押しかけることをせず、先方の都合に合わせて時間を置いたり日を改めたりして撮ってるのも好もしいんだよね。制作費は無いが時間はあるのかも知れない。

多いのは演歌、昭和歌謡、アイドル、少し減って洋楽。洋楽も80年ポップス、ロック。年配の方の持ち物だとカントリーとかカンツォーネ、ラテンが登場しそうなのに案外無い。そう言やクラシックも無い。
視聴者が「ああ、懐かしい」と共感するのが肝だろうから、聞き手の多かった曲を優先して少数派のクラシックは持ち主によほどのエピソードがないと除外しているのかも。やにわにイ・ムジチなんて出されても困るわな。
あと、ちょいと下種な楽しみとしては、他所のお宅の押入れのゴチャゴチャ振りやなんかで生活が垣間見えるのも面白い。提供者の話に親近感を持ったり、色々想像させられたりで、その場でレコードに針が乗ると音楽に沿ったミニドキュメントの趣もあって、良作だと思う。

合間の野口五郎さんの話も良いのね。セットから想像するに、お茶の間の四方山話とか、昔の深夜民放ラジオDJとかの路線で話しているんだろうが、作詞者の話、ギターの話、歌手と俳優の歌唱テクニックの違いなど濃い内容の話が駄洒落を交えつつも、ワイプの状態でもかまわず繰り出されている。時にはギターを持ち出してジャカジャカ。達郎か。
この部分がかなり面白いのにしっかり聞けないのがもったいない。昭和歌謡華やかなりし頃の中心人物のお一人の話ですよ、ちゃんと聞きたいんだよなぁ。

そしてひとつ残念なのは、それを受ける女性(腐すのであえて名は書かずにおきますが)が全くもってイカン。
興味が無く、音楽知識が無く、なーんにも知らなくて「へぇー」という相槌から話が広がらずブツ切れになってしまう。挙動がガサツなのもしんどい。
毎度音楽に合わせてカラダを揺らしてみるが全くリズムに合ってなくてイライラする。音楽にあわせて左右に揺れる、そこだけ昭和でどうすんだ。楽しんでる人を演じてみせるのがヘタで辛い。

たとえばこの女性と同世代の人を勝手に推薦させていただければ、昭和歌謡好きの半田健人さんがお相手だったら?アイドルを筆頭に博覧強記のクリス松村さんだったら?
…それじゃトーク番組になって、肝心のレコードを探してかけさせてもらう部分が弱くなりすぎる気もするが、繰り返しになるが毎回野口さんのトーク部分がさらっと流されていくのが惜しくてねぇ。
当時のスタジオでの録音の話とか、作曲家先生とのこととか、どんどん出てくる話に食いつき、時にじっくり聞きつつ掘り下げ、オタク知識を披露して視聴者を置いてきぼりにするくらいの相手が登場したらもっと面白いと思うのだが。
ともあれこの番組は続く限り見たいもののひとつ。

※今まで敬体で書いていたものが今回はなぜか常体に。まいいか。
外は颱風再接近中。どどどどどっどー。
被害出ませんように。

2018年1月 8日 (月)

風雲児たち~蘭学革命篇

元旦に放送の正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命篇」。
じっくり見たくて録画分を今頃になって見ました。面白かった。

うーん、これぞ正月時代劇!老若男女皆楽しめたんじゃないでしょうか。
お正月にコタツで家族揃って見るのにぴったりで、小学生くらいの子供さんが
判らないところをご両親やお正月を一緒に過ごす親戚の方に補足してもらったり、3学期が始まって図書室で関連本を手に取ったりするところまで想像してしまいました。
三谷さんが常々エッセイなどで、ご自分がドラマや映画をきっかけに想像力を広げ、歴史オタクになったりという道筋を通ってきたことを書いておられます。
まんまと次世代の子供たちがハマってくれそうな点でも素敵なドラマでした。

欲を言えばもうすこしじっくり見られたら。
あと30分くらいあったらなと思いました。

出演は所謂三谷組の皆さん、というより「真田丸」の皆さんだなというのは気づいていましたが、その中でも徳川側の人はいなくて、豊臣方のキャストばかりだと言うのは指摘されるまで気づきませんでした。
こういう凝りかたやこだわりがさすがです。

多才な平賀源内はもう山本耕史さんの他に誰が出来るのって感じ。
山本さんは三谷さんに遊ばれたりちょっとイジワルされたりでとっても愛されてますよね。
長野里美さんが咳き込むシーンや近藤芳正さんが鮭トバ齧ってるのとか、わかりやすい真田丸くすぐりもありました。
新納慎也さんは御髪本当に剃ってしまわれたのねぇ。でもそれだけの値打ち(?)はあったと思います。ご本人のなんとなく可愛らしいキャラクターで杉田玄白がなんとも魅力的でした。
あと、音楽が素晴らしかったですね。(言われなくても聞けばわかる、荻野節メロディの荻野清子さん)

惜しいのは前野良沢の長女役の方。箒使ったことないでしょ。あれではものは掃けませんぜ。
(と、思って調べたら元ジェンヌさんみたい。音楽学校の強烈な掃除は掃き掃除担当じゃなかったのね。でも和物やらなかった?)
次女役の方はお芝居そのものが辛い。ごめんなさい。

何を見るときも予備知識はなるべく持たないことにしているので、事前にご覧くださいという内容の宣伝特番もまだレコーダーの中。2度放送したうち夕方の1度は飛んでしまったそうで、早朝分を録画したのはラッキーだったのかしら。これから見ます。

あと、NHKの「風雲児たち」サイトの充実度がすごいです。
中でも役者が役柄の人物のまま答えているインタビューが面白い。(そして腑分け人が小林隆さんだと知る!)
これ役柄をどれだけしっかりつかんでいるかという意味で演劇訓練でよくやる手法なんですが、台本がありそうな人、ぶっつけっぽい人取り混ぜてすっごく楽しめます。いつまであるのかな、必見です。

2017年10月 2日 (月)

OH LUCY!

視聴してもう何日も経つのだけど、どうにも気になって頭の中に残っているドラマがあります。

NHK総合で9月16日放送の「OH LUCY!」。
詳しい事情はよく知らないのですが、どうやら来年公開の映画作品をテレビドラマ版として編集したものが今回放送されたものだそうです。

監督・脚本 平栁敦子
出演 寺島しのぶ、南果歩、忽那汐里、役所広司、ジョシュ・ハートネット(敬称略)。テレビ版の編集に監督がどれくらいかかわっているのかは良くわかりませんでした。

見る気になったのは「寺島しのぶ」の名前があったからです。
舞台でも映像でも、寺島しのぶが出るものにハズレなし、と思っていて、と言うか寺島しのぶか選ぶ仕事にハズレなしと言い替えてもいいかも知れない。
彼女の芝居はどれも「腹が据わっている」印象があって大好きなんです。

そこへ南果歩、役所広司と来たら、当然チャンネルあわせますよね。

話は、高齢独身OLが姪に押し付けられて英会話教室の授業を受けることになり、その講師の男性に惹かれる。が、彼は姪とアメリカに行ってしまい、それを姉と共に追って渡米…という話。
途中まで、いわくある姉妹の和解へのロードムービーになるのかしらと思ってたらとんでもない、全然違って、もっとギリギリなキツイ話でした。

全編語りすぎない中に、主人公の中に渦巻く色んな負の感情がバシバシ伝わって、そこへ姉の尖った「怒り」の感情が救いがたくぶち込まれ、姪の言葉とふるまいにかき回されて途中まで「すごいものを見てるわー」「とんでもない作品かも」と圧倒されました。
だのに、ラスト10分が「あれ?それでいいの?そんなんでおさまるの?」と私の中ではしぼんでしまった。
どうにも腑に落ちず、「惜しいなー」と思いつつ見終えたのでした。
納得いかなかったのであっさりレコーダーから消去。

ですが。
普通なら忘れていくはずのこのドラマが冒頭に書いたように、頭から去らないのです。登場人物それぞれの感情にザラザラと撫でられた感覚が残ってしまった感じ。ストーリーそのものより、そのザラザラ感につかまってしまった。

主人公のヒリヒリとした感情の動きや血縁との関係性においてT・ウィリアムスの「欲望という名の電車」がふと頭をよぎったりもしました。(寺島さんはまだブランチは演じてしませんでしたっけ?)
主人公を抱きしめてあげたい。とかよくあるでしょ?
そんなこと思いません。来ないで、近寄らないでっと思ってしまう。

くやしい、もう一度見て消化したいと思っても消してしまったのが後の祭り。
またそのうち再放送あるかもと期待しておきましょう。

そうそう、忽那汐里が良かった。
ポッキーのCMしか知らないのですが、当時、健康的な作りのコマーシャルなのになんというか肉感があって妙な感じのお嬢さんだなと思ったんです。それで名前を覚えてました。
小悪魔・現代っ子というだけでないひっかかるキャラクターの芝居と派手なルックスが他の手練れの俳優に引けを取っていませんでした。

2017年9月29日 (金)

やすらぎの郷

ウイークデーの真っ昼間放送のシニア向け帯ドラマ「やすらぎの郷」も今日が最終回。なんと全回見てしまいました。

最初に毎回録画の設定にしたため、半ば仕方なく見るという時もあり、家事をしながら画面に背を向けて耳だけ試聴のときも多く、果てはは1.3倍再生にしてざっと見ただけのこともあったのを正直に記しておきます。
けっこうゆるゆるの内容だと思ったり、エピソードに辟易したことが無かったとは言いません。
それでも見るのを止めてしまわなかったのは、やっぱりどこか面白かったから。

最初に見る気になったのは、82歳の倉本聰さんの新作を見る機会はもうそんなに多くないだろうと思ったのと、発表された出演者が豪華だったことに尽きます。

事実、俳優陣の素晴らしかったこと。
ご高齢の方も多く、「あのあたりにカンペがあるのかな」と思うことがあったり、明らかに変な間があってヘッ?となることもあったのに、それを凌駕する魅力ったらなかったです。
出ているだけで、立っているだけで、その人物にはちゃんと生きて生活してきた過去があり、だから今こうしているんだということが黙してなお伝わる存在感。いや感服しました。

時々昔の写真が挟まれることがあり、女優さんのその美しさ、可憐さにはため息がでました。うすっぺらくないの。女優って優れた女のことなんだと思いましたね。

脚本は、言いたいことを全てブチ込んだという感じでした。
タバコや相続問題を描くくだりはははあ、倉本さんは苦々しく思っているんだなと苦笑したり、介護施設の描き方が取材不足だなと感じたり、なんでこういう展開にする必要があったのか全く必然性を感じないところに辟易する場面さえありましたが、一方戦争に対する思いや現代のテレビ業界およびテレビドラマへの苦言はストレートなだけに倉本さんの怒りとして真剣に見ました。時々おっさんドリーム全開になるのは失笑。でもおじさまたちはここが好きかな。
やすらぎの郷の設定は映画「カルテット」から借りたんでしょうか。
どこかで「倉本聰の遺言」と言われていましたが、いやいや意気軒昂じゃありませんか。
ちらっと、ヒッチコックの様に中島みゆきさんと共に登場したシーンもありのサービスっぷりでした。(巻き戻してチェックしたわ)

途中、野際陽子さんが亡くなられて、でも物語には出続けていることが不思議でありつつもスタッフさんの上手い処理により最終回まで完走されていたのがすごいなと思いました。

個人時に一番好きなのは小春(富士眞奈美さん)のエピソード。演技も素晴らしかった。

最終回のエンドロールは、端役まで含めた全出演者を延々流しました。文字の大きさも同じであいうえお順。
たしか「北の国から」もそうだったと記憶しています。
端役なくして物語は完成しませんよ、皆で物語は作るのですよというメッセージ。

で、最後に「このドラマはフィクションです。ですが、まぁ諸々お察しください」で締め。声出して笑った。
芸能ファンにはあっと思わせる色んな出来事を押し込んでありましたものね。
なんだかんだといいつつも半年間楽しませていただきました。

2017年8月28日 (月)

中田カウス・ボタンの漫才一筋半世紀

多分関西ローカル番組ですが、8月27日夕方の「中田カウス・ボタンの漫才一筋半世紀」をたまたま見たら面白かった。

ご両人(古い言い方だなぁ)にスタジオでコンビ結成からの50年を振り返っていただきましょうというものです。
相手を務める桂文珍さんの話の掬い上げが上手く、軌道から外れぬよう配分しながらの聞き役をさすがだなぁと感心していたら一時間足らずの番組を全部見てしまいました。(たとえ台本通りだとしてもやっぱり上手いよ)

カウス「絶えず相方にもネタにも疑いをかけるというのがある。
疑いをかけることでしか前に行けない辛さがある」

文珍「疑いをかける、とは?」

カウス「今日、こんだけ爆笑とったけど、この笑いで誰かお客さん傷つけてないかな、とか、笑いをとったけども下品やったかな、とか、いつも疑いをかけることでしか成長はない」

このくだりが印象的でした。

私は一部を除く最近のお笑いというものにどうも付いていけなくて、それは単に年を取っただけとも言われそうですが、笑う以前にひやひやしたり不快だったり困惑したりすることが多いからだと思うんですね。

どぎついことって確かにおかしみと表裏一体だったりします。
やりすぎることからくるなんともいえない笑いは大好きです。
でも、差別的なこととか極端なアクションとか、卑属、攻撃的なことを無理矢理勢いだけでねじ伏せるのは上質ではないし、飽きも早い。
(あ、もちろん全てではないです。とんでもない材料を特殊な笑いにしてくれる稀な例もありますね。そういう超ド級の芸はまた別の話)

カウス氏の発言を頭の隅に置いておいてくれるだけでそういうお笑いもずいぶん変わりそうなものなんだけど。