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2018年5月

2018年5月29日 (火)

「雨ノチ晴レ。」 TSUKEMEN

あー、この曲好きだ。
TSUKEMENはずっと気になっているバンドのひとつ。
演奏力もあるし、もう一歩何か欲しいと思っていたのが(偉そうでゴメンって)
この曲はなにかぱーっと目の前が開けたような感じがします。

私はやっぱり生音が好きなんですよ。
ホント、いい曲。バンドと一緒というのも面白いし、MVも素敵です。

でもデビュー時からバンド名が気に入らないのよね。
とーちゃんは長く名乗らせることを考えてなかったんじゃないですか。検索したら麺つゆやソースが一緒にヒットするグループ名ってどうなのよ?
それも面白いと言う向きもあるかも知れないけど、コミックバンドとはちゃうんやから。
10年経った今更言っても仕方ないけどもったいないなぁ。

※「Volcano」もいいなぁ。ブレイク格好いい。

2018年5月28日 (月)

あざみの花

通りがかった道沿いにあざみの花が咲き始めていました。
素朴にも見え、赤紫というかフューシャピンクというか、この色のせいか華やかにも見え、独特な魅力の花です。

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伊藤久男さんの歌もありますね。

山には山の愁いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花園に
咲きし あざみの花ならば

横井弘氏の作詞、 昭和24年の歌だそうで、生まれるずっとずっと前の歌を
なんでワタシ歌えるんでしょ?しかし昔の歌は格がありますなぁ。

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かなり大きな株が側溝のガードレール脇に3つほどありました。
他の雑草はどなたかが抜いている気配があるのに、あざみだけ残っているのはこの花がお好きな人が残しておいたのか、それとも棘があるので抜けずにあきらめたか。
後者かな。
トゲ、ものすごく痛いです。葉も茎もどこも触れなくて手折るなんてとんでもない。薔薇やからたちなんて目じゃない、ホームセンターにある作業用の皮手袋じゃないと無理じゃないでしょうか。
綺麗だといいながらも、我が家に生えてきたらイヤだもんな。
見るだけ、見るだけ。

2018年5月25日 (金)

ツタンカーメン

すぐ近くに住む叔父が時々畑の収穫物を届けてくれます。
彼は、大手の交通機関で退職まで勤め上げリタイアしたあとは晴耕雨読という人で、享楽的で勤め人の少ない我が一族の中ではめずらしいタイプの人間です。

家の明りが見えるほど近くに住んでいるのに顔を見ることはほとんどなく、
それはなぜかといえば、あちらは19時半には布団に入りお日様より早く目覚める超朝型でこちらは2時半ごろにモソモソと寝床へ向かう超夜型。
よって互いの贈り物やおすそ分けはスーパーの袋に入ってドアノブに引っ掛けあって行き来するのです。

さて、今日深夜に帰宅したらドアノブにまた白いスーパー袋。おじちゃんいつもありがとう。
小さな家庭菜園だと言っていたけど色々作ってるなぁ。

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今日は紫色の豆が入っていました。ひー初めて見ました。これなに?
聞きに行こうにもいつもの通り叔父宅は寝てしまって真っ暗なので、恐る恐るさやを剥いたら中は普通の緑色でした。

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あぁ、こりゃ豆御飯だなと次の日美味しくいただきました。ちらっとお酒、ちよこっと塩、豆をドバッ。
それだけなのにものすごく美味しかった!そしてしばらく置いた御飯がピンク色だった!紫色が出てくるんですね、面白い。

残りは固めにゆでて冷凍庫へ。高野豆腐を炊く時に豆を入れるのが好きなのだけど、もしかしたらピンクの高野豆腐になるのでしょうか。楽しみ。

後日、犬の散歩中の叔父に会えた機会にお礼とともに尋ねたら、紫えんどうのツタンカーメンという品種だそうで、かのツタンカーメンのお棺から出てきた豆を育てたものだとか。言いながら「ホンマかいな」と笑ってましたが、撒けば撒くだけ育つものすごく丈夫な種類らしいです。
世の中知らないものだらけです。

2018年5月18日 (金)

「邂逅の森」 熊谷達也

「邂逅の森」熊谷達也 読了。
電車の中で読み終えてショック状態。しばらく現実世界に戻れずに駅からの暗い道をゆっくりと歩きながらクールダウン。いや面白かった。

大正から昭和にかけて、秋田でマタギとして生きる男の物語。
私はこの作家さんを読むのがはじめてで、裏表紙にあるあらすじ以外の予備知識はなしで手に取りましたが、久々に物語にのめりこむ楽しさを味わいました。

自分の話になりますが、私の父方のルーツがかなりの田舎、山の奥のそのまた奥です。
(余談ですが母方のルーツは誰もが知る大都会。面白いものです)
今でこそ多少は行きやすくなったのですが、私の子供の頃は気軽に田舎に行こうとは口にできない、かなりの決心がいる遠い場所でした。

お店なんてなく、山の向こうはまた山。あとは神様がいるとされる湖。
遠縁のおばあちゃんが木から落ちたみみずくの雛を拾い育てて山に返したら
慣れてしまって、おばあちゃんが家の外に出るといつもどこからともなく現れた…。
雉、猿、狸、鹿、猪と野生動物をいくつも目にして共存する環境で、暮らしはつつましいもの、自然は怖くて神々しく畏怖の念を抱くものなんだなと連れて行かれるたびに実感しました。
もう、奥深すぎて風景に癒されるとか空気が綺麗なんてのを通り越しちゃってる。天狗が出るというのを信じていたし話し言葉は古語が混じってたもの。

そして親戚のおじちゃんが山の仕事をしていて、鉄砲打ちでもありました。
鉄砲はどうせがんでもダメだったけど、打った鹿やその皮は見せてもらい、
色んな肉を御馳走してもらいました。猟を恐いとは思わず、この場所で生活するというのはこういうことなんだなとおじちゃんや一族を尊敬していた。

…そういった自分の昔の体験や見聞きしてきた話、山の生活や肌で感じた空気がこの本を読みながら思いだされ、体感できるようでもう夢中でした。
他の人よりずっとリアルに読めたんじゃないかな。

もちろん、そういう田舎体験なんてなくてもぐいぐいと物語は迫ってきます。
地の文が上手すぎるので、なんのストレスもなく小説世界に入って「読む楽しみ」を味わわせてくれます。
読み終えて振り返るに、女性の機微が男目線に過ぎるかなと思わないではないですが力強く、素朴で厳しい名作だと思いました。
性描写も少なくないですがいやらしいとかエロいというものではなく、人が生きること、飾らず素の姿であること、山の中で生きることを描写する為の必然で、動物としての人を感じられるものでした。

まぁ、これらの描写があるのでこちらから中高生にもお勧めするのは控えますが、自分でたどり着いて読む子にはなんの問題もないです。
ちゃんと作者の真意は読み取ってくれるでしょう。

2004年の作品。直木賞と山本周五郎賞のダブル受賞作品とか。
本好きといいながらまだ読んでなかったのと言われる向きもあるでしょうが、素直にうなづきます。
読みはぐれている本、多すぎるわ。

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