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2016年6月20日 (月)

演劇チラシ7~市川猿之助特別公演「天竺徳兵衛新噺」

私の歌舞伎観劇は細く長く、たいして詳しくもならぬまま続いているのですが、見始めの若いころに猿之助歌舞伎があったのは大変幸せだったと思っています。
当時は「猿之助ブーム」という言葉があり熱狂的な人気でしたが、一方で、あれは歌舞伎じゃないという意見もあちこちで見聞きしていました。
ド素人の歌舞伎初心者の私としてはその辺りなにもわかりませんでしたが、他の歌舞伎と違っていつも同じ人たちで一座になっていることや、松竹の劇場(当時の中座や南座)で観られないことに「何らかの事情」は察していました。
とはいえ、スピーディで整理された話、視覚的にも楽しめる衣装や演出、聞き取りやすい言葉。圧倒的に面白かったんですよ。
歌舞伎を色々見る中で、なじめない演目や理解できない文言があっても飽きずに、なんとか爪を立てられるようになったのは必ず楽しませてくれた猿之助一座のおかげでした。
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と、言うわけでこのチラシ。
猿之助十八番の内、と頭にあります。通しで上演された天竺徳兵衛新噺(てんじくとくべえいまようばなし)。
1990年2月2日から25日、大阪新歌舞伎座での公演で、当然この猿之助は三代目、今の猿翁丈のことです。

私が観たのは2月12日昼の部、なんと猿之助病気休演でした。
劇場に到着してみたら案内用の拡声器を持ってスーツ姿の人たちが右往左往していました。

普通の歌舞伎(という言い方もどうよ)だと、休演があっても代役がすぐ決まりますし、大抵のお約束で上の俳優さんがお役に入られるのでお客としてはラッキーだったりしますが、
スターシステムの猿之助一座で「市川猿之助特別公演」と謳っておいて休演は看板に偽りありとなります。
入り口で発表された代役は市川右近。眉もキリリと若武者顔で、なにより猿之助丈への崇拝ぶりも好ましく、仲間内では愛情を込めて「右近ちゃん」と呼んでいました。
その右近ちゃんが代役ってんでこれから観るこちらもパニックでした。右近丈は当時26~27歳ですよ、アリエナイ。
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開演時間になったら、幕前に興行主のドリーム観光(新歌舞伎座サンね)の社長だか会長だかのおばあちゃまが杖をついて登場し、
猿之助さんはひどい気管支炎であること、代役の若い右近さんに不満はあろうが応援してやって欲しい、いつかこの公演を見たことが、きっと皆様の自慢になるであろうこと、90近い私が言うのだから間違いないと頭を下げてからの異例の開演となりました。
浪花節っちゃあ浪花節ですが、この予言どおり今でも思い出せる強烈な舞台になったのが恐ろしいことです。

お話は妖術や怪談話や宙吊りが登場するスペクタクル感のある、楽しいもの。
五役を早がわり交えて見せるということは、それだけ手数が多く、タイミングが要求されるでしょう。
右近丈がどの段階で代役に決まったのか、もしかしたらアンダースタディとして稽古していたのか、知る由もありませんが、目立った問題はないように思いましたし、何よりもとにかく最初から異様な空気でした。

がむしゃらで汗だく、舞台に喰いつきそうな右近丈を見ながら、なんかすごい物を見ているという実感がありました。
劇場全体が演者全員の気迫に押されて、呑まれていくんですね。
当時の走り書きに「元気、茶目っ気、可愛らしさがある」と記してありますので、ちゃんとキャラクターも表現できていたのでしょう、全て見えなくなっているわけではなかったとしたら、それまた素晴らしいです。
最後の拍手のうねりがものすごくて、私だけじゃない、皆満足したのだなと思ったのを強烈に覚えています。

その月、22日には夜の部を観ています。(一條大蔵譚と黒塚)猿之助丈はとっくに復帰していて、声にも問題なし。
一條大蔵譚の腰元で三つほどの台詞を言う右近ちゃんを見て、この人が10日前にはねぇ、と不思議な気持ちになりました。

右近丈はその後、なんだか不運なことが多くて気の毒に思っていたのですが、2017年1月に三代目市川右團次の襲名が決まりました。おめでとうございます。
澤瀉屋でなくなるのは寂しいような気がしますか、ご子息も右近襲名だそうで、おめでたダブルですね。

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(お子様の本名、タケルくんなんですね。それってやっぱりこれ↑から取ったのかしらん)

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